いよいよ今日は大晦日。今年1年のあかを洗い流す意味で先ほど近くのスーパー銭湯でリフレッシュしてきました。何はともあれ来年が良い年でありますように...
写真はJR東日本が発売する元日乗り放題パスの広告です。
国鉄時代は東海道・山陽新幹線元日乗り放題1万円のお年玉きっぷが発売されていました。1度友人とこのきっぷで大宰府天満宮まで日帰りしたことがありますがさすがに疲れた記憶があります。そのころはまだ「ひかり号」が東京-博多間を6時間以上かけて走っていた時代です。
それでは良いお年を...
「ほぼ日新聞」というホームページで除夜の鐘が楽しめます。
ご興味があればご覧ください。我が家では毎年11時30分を過ぎると
このホームページを開きっぱなしにします。
今年も残りわずかとなりましたが、年の瀬にJR東海ダイヤ改正の詳細が発表になりました。青春18きっぷ愛用者にとっては悪いニュースです。
下りムーンライトながらの東京発車時刻が30分以上繰り上がり、なおかつ途中、平塚・国府津両駅が通過となることです。
これの意味することは青春18きっぷ愛用者とって、従来は東京から横浜までの450円の乗車券を購入すれば翌日日付の青春18きっぷで大垣方面まで旅行が可能でした。今回の改正によっておそらく、東京から小田原までの乗車券を購入しなければならなくなるだろうということです。詳細のダイヤは明らかではありませんが、改正ダイヤは大船を23:53頃出発すると思われ、ここから小田原まではノンストップ運転となり、日付が翌日に変わります。東京-小田原間は1,450円ですから実に1,000円もの値上げとなるわけです。
その他、特急東海の廃止も発表されました。
下りムーンライトながらの東京発車時刻が30分以上繰り上がり、なおかつ途中、平塚・国府津両駅が通過となることです。
これの意味することは青春18きっぷ愛用者とって、従来は東京から横浜までの450円の乗車券を購入すれば翌日日付の青春18きっぷで大垣方面まで旅行が可能でした。今回の改正によっておそらく、東京から小田原までの乗車券を購入しなければならなくなるだろうということです。詳細のダイヤは明らかではありませんが、改正ダイヤは大船を23:53頃出発すると思われ、ここから小田原まではノンストップ運転となり、日付が翌日に変わります。東京-小田原間は1,450円ですから実に1,000円もの値上げとなるわけです。
その他、特急東海の廃止も発表されました。
前回に引き続き旧国鉄時代に飯田線を走っていた旧型電車です。
旧型電車とは旧国鉄が製造した電車のうち、昭和33年に量産デビューした101系電車よりも前に製造された形式をファンの間では総称しています。大きな違いとしては電車のモーターから動力を車輪に伝える方式が101系以降の電車は大きく改良されました。いわゆる旧型電車は動力の伝える方法として大きな歯車を使用していました。この摩擦音が加速走行時に「グオオオォ〜ン」という独特な音を響かせていました。
この写真は前回紹介した80系という形式の一部でクハ85形式です。もともと80系は長距離・長編成での運用を建前として製造され、その際当時の2等車(現在のグリーン車)も中間車として造られました。しかし、時が経つにつれ、働き場所が幹線から地方のローカル線区に転出していきました。
ローカル線区では幹線ほど長い編成が必要としないので当然に先頭車両が不足し、需要もないローカル線区では2等車も不要となってきます。そこで2等車を普通車に格下げのうえ、先頭車化改造を施されたのがこの形式です。この改造は昭和40年代前半頃に行われており、デザインも当時デビューした101系や103系の前面にとてもよく似ています。
旧型電車でも今回紹介した80系や70系、72系をファンの間では「戦後型旧型」と称しているに対し、それ以外の形式を「戦前型旧型」というくくりをしています。この戦前型旧型電車はひとつの形式での車両数が少なかったり、製造後長期間が経過しているため、その車歴、改造歴が複雑で、そこが魅力、という人もいます。
この写真はクモハユニ64という形式で、戦前型旧型電車の中でもファンに珍重された形式の1つです。1982年の秋ごろ、飯田駅にて撮影しました。当時、この形式は1形式1車両しかなく、しかも両運転台で普通車の客室設備と郵便、荷物の合造車という、現在では到底考えられない車両の造りとなっています。
戦後から昭和30年代くらいまでは旧国鉄は黄金時代といわれ、現在、郵便や小荷物はトラックや航空貨物が常識となっていますが、当時は鉄道による輸送が主流でした。この車両からはそんな旧国鉄の古き良き時代を垣間みることができます。
旧型電車とは旧国鉄が製造した電車のうち、昭和33年に量産デビューした101系電車よりも前に製造された形式をファンの間では総称しています。大きな違いとしては電車のモーターから動力を車輪に伝える方式が101系以降の電車は大きく改良されました。いわゆる旧型電車は動力の伝える方法として大きな歯車を使用していました。この摩擦音が加速走行時に「グオオオォ〜ン」という独特な音を響かせていました。
この写真は前回紹介した80系という形式の一部でクハ85形式です。もともと80系は長距離・長編成での運用を建前として製造され、その際当時の2等車(現在のグリーン車)も中間車として造られました。しかし、時が経つにつれ、働き場所が幹線から地方のローカル線区に転出していきました。ローカル線区では幹線ほど長い編成が必要としないので当然に先頭車両が不足し、需要もないローカル線区では2等車も不要となってきます。そこで2等車を普通車に格下げのうえ、先頭車化改造を施されたのがこの形式です。この改造は昭和40年代前半頃に行われており、デザインも当時デビューした101系や103系の前面にとてもよく似ています。
旧型電車でも今回紹介した80系や70系、72系をファンの間では「戦後型旧型」と称しているに対し、それ以外の形式を「戦前型旧型」というくくりをしています。この戦前型旧型電車はひとつの形式での車両数が少なかったり、製造後長期間が経過しているため、その車歴、改造歴が複雑で、そこが魅力、という人もいます。
この写真はクモハユニ64という形式で、戦前型旧型電車の中でもファンに珍重された形式の1つです。1982年の秋ごろ、飯田駅にて撮影しました。当時、この形式は1形式1車両しかなく、しかも両運転台で普通車の客室設備と郵便、荷物の合造車という、現在では到底考えられない車両の造りとなっています。戦後から昭和30年代くらいまでは旧国鉄は黄金時代といわれ、現在、郵便や小荷物はトラックや航空貨物が常識となっていますが、当時は鉄道による輸送が主流でした。この車両からはそんな旧国鉄の古き良き時代を垣間みることができます。
今回はJR飯田線の国鉄時代に走っていた80系という電車です。
どちらも1982年の秋ごろに撮りました。
左の写真は伊那八幡駅にて撮影しました。この形式は戦後間もない昭和24年頃から製造されました。当時としてはこの塗装や前面のデザインは画期的で、電車の長編成化と長距離運用化のはしりとなった形式です。
当時、この写真を撮影に行ったころは初期に製造された車両はすでにほとんど廃車されていて、写っている車両は昭和32年ごろ製造されたものと思われます。
この写真は天竜峡駅での80系と165系のツーショットです。165系は80系の後継のひとつとされる形式で、1960年代後半から1980年代前半にかけ、全国の直流電化線区を走る急行列車として見ることができました。今となっては両形式とも現JR線上では見ることができません。
ちなみに大阪の交通科学博物館にはクハ86形式とモハ80形式が保存されています。この80系は初期に製造されたものは先頭車の窓が3枚になっていました。昭和25年製造のものから写真のような2枚窓になったということです。
どちらも1982年の秋ごろに撮りました。
左の写真は伊那八幡駅にて撮影しました。この形式は戦後間もない昭和24年頃から製造されました。当時としてはこの塗装や前面のデザインは画期的で、電車の長編成化と長距離運用化のはしりとなった形式です。当時、この写真を撮影に行ったころは初期に製造された車両はすでにほとんど廃車されていて、写っている車両は昭和32年ごろ製造されたものと思われます。
この写真は天竜峡駅での80系と165系のツーショットです。165系は80系の後継のひとつとされる形式で、1960年代後半から1980年代前半にかけ、全国の直流電化線区を走る急行列車として見ることができました。今となっては両形式とも現JR線上では見ることができません。ちなみに大阪の交通科学博物館にはクハ86形式とモハ80形式が保存されています。この80系は初期に製造されたものは先頭車の窓が3枚になっていました。昭和25年製造のものから写真のような2枚窓になったということです。










