引き続きありし日の鹿児島交通の情景です。写真は加世田という駅での交換風景です。加世田という町は鹿児島交通の沿線で一番人口が多い町だったと記憶しています。
この駅には車庫もあり、写真のような使用されなくなった蒸気機関車も留置されていました。
加世田駅の駅員と列車のお客、そして「廃止反対」の看板が写っている「生きている駅」の情景です。
写真はキハ300系という形式で、旧国鉄のキハ10系という形式をモデルしたものです。この車両、窓の形状がファン仲間で呼ばれているいわゆるバス窓で、当時はすでに本家のバスにもこのような窓の車両はほとんど消滅しており、ファンの間では注目されていた形式のひとつでした。
雨天にもかかわらず多数のファンが撮影に訪れていました...久しぶりの「懐かしの鉄道」シリーズです。
今回は鹿児島交通です。1983年までJR鹿児島本線・伊集院駅とJR指宿枕崎線・枕崎駅を結んでいました。これらの写真は廃止寸前の1983年の夏に撮影しました。
この写真は伊集院駅に止まっているキハ100系という車両です。先頭が馬づらの形状をしているこの形式は当時はすでに珍しがられ、全国の鉄道ファンが撮影にきていました。
こちらはキハ100系の全景です。当日は雨が降っており、光がたりなく、ちょっと暗い写真となってしまいました。
このあと、私はこの列車に乗って加世田というところへ向かいました...
(つづく)
今回は鹿児島交通です。1983年までJR鹿児島本線・伊集院駅とJR指宿枕崎線・枕崎駅を結んでいました。これらの写真は廃止寸前の1983年の夏に撮影しました。
この写真は伊集院駅に止まっているキハ100系という車両です。先頭が馬づらの形状をしているこの形式は当時はすでに珍しがられ、全国の鉄道ファンが撮影にきていました。
こちらはキハ100系の全景です。当日は雨が降っており、光がたりなく、ちょっと暗い写真となってしまいました。このあと、私はこの列車に乗って加世田というところへ向かいました...
(つづく)
前回に引き続き旧国鉄時代に飯田線を走っていた旧型電車です。
旧型電車とは旧国鉄が製造した電車のうち、昭和33年に量産デビューした101系電車よりも前に製造された形式をファンの間では総称しています。大きな違いとしては電車のモーターから動力を車輪に伝える方式が101系以降の電車は大きく改良されました。いわゆる旧型電車は動力の伝える方法として大きな歯車を使用していました。この摩擦音が加速走行時に「グオオオォ〜ン」という独特な音を響かせていました。
この写真は前回紹介した80系という形式の一部でクハ85形式です。もともと80系は長距離・長編成での運用を建前として製造され、その際当時の2等車(現在のグリーン車)も中間車として造られました。しかし、時が経つにつれ、働き場所が幹線から地方のローカル線区に転出していきました。
ローカル線区では幹線ほど長い編成が必要としないので当然に先頭車両が不足し、需要もないローカル線区では2等車も不要となってきます。そこで2等車を普通車に格下げのうえ、先頭車化改造を施されたのがこの形式です。この改造は昭和40年代前半頃に行われており、デザインも当時デビューした101系や103系の前面にとてもよく似ています。
旧型電車でも今回紹介した80系や70系、72系をファンの間では「戦後型旧型」と称しているに対し、それ以外の形式を「戦前型旧型」というくくりをしています。この戦前型旧型電車はひとつの形式での車両数が少なかったり、製造後長期間が経過しているため、その車歴、改造歴が複雑で、そこが魅力、という人もいます。
この写真はクモハユニ64という形式で、戦前型旧型電車の中でもファンに珍重された形式の1つです。1982年の秋ごろ、飯田駅にて撮影しました。当時、この形式は1形式1車両しかなく、しかも両運転台で普通車の客室設備と郵便、荷物の合造車という、現在では到底考えられない車両の造りとなっています。
戦後から昭和30年代くらいまでは旧国鉄は黄金時代といわれ、現在、郵便や小荷物はトラックや航空貨物が常識となっていますが、当時は鉄道による輸送が主流でした。この車両からはそんな旧国鉄の古き良き時代を垣間みることができます。
旧型電車とは旧国鉄が製造した電車のうち、昭和33年に量産デビューした101系電車よりも前に製造された形式をファンの間では総称しています。大きな違いとしては電車のモーターから動力を車輪に伝える方式が101系以降の電車は大きく改良されました。いわゆる旧型電車は動力の伝える方法として大きな歯車を使用していました。この摩擦音が加速走行時に「グオオオォ〜ン」という独特な音を響かせていました。
この写真は前回紹介した80系という形式の一部でクハ85形式です。もともと80系は長距離・長編成での運用を建前として製造され、その際当時の2等車(現在のグリーン車)も中間車として造られました。しかし、時が経つにつれ、働き場所が幹線から地方のローカル線区に転出していきました。ローカル線区では幹線ほど長い編成が必要としないので当然に先頭車両が不足し、需要もないローカル線区では2等車も不要となってきます。そこで2等車を普通車に格下げのうえ、先頭車化改造を施されたのがこの形式です。この改造は昭和40年代前半頃に行われており、デザインも当時デビューした101系や103系の前面にとてもよく似ています。
旧型電車でも今回紹介した80系や70系、72系をファンの間では「戦後型旧型」と称しているに対し、それ以外の形式を「戦前型旧型」というくくりをしています。この戦前型旧型電車はひとつの形式での車両数が少なかったり、製造後長期間が経過しているため、その車歴、改造歴が複雑で、そこが魅力、という人もいます。
この写真はクモハユニ64という形式で、戦前型旧型電車の中でもファンに珍重された形式の1つです。1982年の秋ごろ、飯田駅にて撮影しました。当時、この形式は1形式1車両しかなく、しかも両運転台で普通車の客室設備と郵便、荷物の合造車という、現在では到底考えられない車両の造りとなっています。戦後から昭和30年代くらいまでは旧国鉄は黄金時代といわれ、現在、郵便や小荷物はトラックや航空貨物が常識となっていますが、当時は鉄道による輸送が主流でした。この車両からはそんな旧国鉄の古き良き時代を垣間みることができます。






